第七章()    『窯場の推理B』

 

前項(三)(四)で窯場探索を推理する道教的論理を展開してみました

●赤字  しかし窯場の推理に“論理的根拠”は無い

●赤字  そして論理の飛躍は“感”と申しました

少し頭を冷やして、論理の飛躍に至る思考がどうして一挙に「龍興」に至るのか自分の

脳ミソを今一度分析してみます

漢文化のダ・ビンチコードです

数学の3段論法ならぬ道教道理の★9段論法です

中学時代数学の幾何の証明問題はけっこう好きであった

しかし“感ピーュター”最近は“感”の外れることおびただしい

・・・・・・!・・ムム

但し私同様門外漢の読者は、ここは飛ばして戴いて結構です

一応ワクに囲んでおきます

それではまず「龍興」の「龍」、北極星を今一度、論法しよう

★『大漢和辞典』の漢字の「漢」の文字の意味は天の川でした

★漢字はもともと図@のように亀甲など占易の象が進化、

 変象してきたものです

★漢字の「画数(畫敷)は、謀計される」でした

★漢字の最大画数で64画です



図@亀甲の図

★『大漢和辞典』にこれ以上の画数の文字はありません

   太極「易」宇宙は、第2章(九)で示した通り、

この漢字の最大画数64画と同じ64卦です

64画のは「易」で謀計、

天隠されていると推理する

★道教「タオイズム」には、図Aの様に

今も漢字に霊力を観ている                           

★必然的にこの最終最大画数にとてつもない

秘密が天隠されてある筈と思考が回転する

★「龍」イコール皇帝でした

★道教では北極星は天帝の住む宮殿です

★天子皇帝は天帝の子です

★当然、玄宗皇帝の祖先そして、自分の死後に住む宮殿です

★即ち、皇帝=龍=北極星です

★かさねて漢字の「漢」は“天の川”でした


印面東西には「日」「月」が配当されています

★問題は「北」と「南」です

★その天の川の真北の最大巨星は北極星です
 最大画数の巨星の一つ、は=北極星で、

「寶」印面「北」に位置すると言う

19段論法が成立します


同様に「漢」天の川の真南にキラメク巨星は

南斗六星の中心に星座する南極星です

さすれば、も同様の推論で南極星に配当される論理が燦然と生じる

「興」を今一度整理検証します

「興」は“興る”“生ずる”です

 ★玄宗皇帝は道教の聖人「荘子」を天寶元年、勅令により

 南極星に配当しました

★南極星は道教で「玄牝の門」「衆妙の門」に当たるところです

★しかも二つの門は森羅万象が“興る”“生ずる”神秘の門です

 道教の祖「老子」は森羅万象の哲理を説きました

 その哲理が再び興る!!!!即ち老子が地上に「寶」となって降臨する星座

★まさしく“天下が治まる”その星が南極星です

★玄宗皇帝が「荘子」配当し「寶」興る=焼成、それを南極星のを配当したのです

★重ねて森羅万象を秘めた「寶」が降臨イコール焼成なる星座は真南、南極星に

配当される

さらに統一の論証を展開いたします

も四文字の集合です

★七章(二)で文字を考案したと伝わる文字神「蒼頡」は目が四つありました

★そして史上最高の“龍顔”と伝わります

★「寶」の印=「天子皇帝」=「龍」です

★印面は皇帝の顔を秘す

★天子皇帝である玄宗もまた当然最高の龍顔でなくてはなりません

★印面「界」の文字は、龍の胴と尾を現す「介」と龍の頭部、顔の部分「田」「田」に分けられます

★顔「田」には目が四つで、文字神「蒼頡」と同じ龍顔です

も四文字で龍顔を秘す

★そして印面、対面は日月と同じ「陰陽」に当たる

★中央五文字は「五行」です

★陰陽五行、相生相剋は「寶」焼成です

の交合、交わる地点は「龍興」です

「龍興」こそ、老子降臨=「寶」焼成、誕生の地の論法が成立する

詭弁、こじ付けの論法と思いますか?・・?

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私もこの中国人の、気の遠くなる論法に呆れているのです

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ダ・ヴィンチコード聖杯伝説など問題にしない

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とにかく疲れる・・・・それが本音です

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時々自分が玄宗皇帝か司馬承禎の生まれ変わりかと疑う程です

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それは横に置いて

只、平成承禎の泣き所は二文字の出典時期です

しかしそれを調べていたら、また数年先になります

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森羅万象を生む衆妙の門です、推論の論拠も漢大宇宙に匹敵する程、展開できます

しかし読者離れが心配ですので一応この位で止めておきます

以上平成承禎の推論の一部を展開しましたが、なにせ天才司馬承禎です

私など子供扱いです

尊師の奇門遁甲の術も考えられます

また、天寶元年に「龍仙」の地名も置いています

今一箇所、『放蕩都市』(文献136211)に陜州桃林県に玄元皇帝老子が現れて寶符が発

見され、霊寶県に改名されたらしいとあります

これは、機知に富む玄宗の陽動作戦と考えていますが道理の展開する余地のある地名です

それとも唐白磁の窯跡は、天に近い五嶽の聖山か、老子ゆかりの地か?!これまでの固

定観念を捨てた無からの道理の展開が求められると考えるのです

平成承禎としては、この「龍興」に相当期待はしているのですが何せ中国に一度も旅し

た事の無い私です

「寶豊縣の東と言っても相当 広大な範囲と想像されます

もと土建屋をしていました、ショベルカーを持って中国に乗り込むか?!

この本が出版されれば、研究者が駆けつけるでしょう

マアいずれ歴史が証明するであろう

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私の友人の宮川氏が、数年前清朝時代の古い地図を骨董屋から掘り出して来てくれまし

縮尺で測ると洛陽から寶豊縣まで南に約100キロらしい

もし「龍興」とすれば陶土と燃料の搬送は約30年間です

延べ人員は数百万、いや数千万人、想像もつきません

ちなみに資料によれば当時大唐の天下は、戸数約840万、人口約4800万人であったそうで

治乱興亡の中国です。

いまでは神殿は跡形も無いでしょう

それにしても高校時代の歴史の先生は偉かった

歴史を勉強するとき,年表と地図が大切と教えてくれました

巻末年表は先学の集大成、自作の年表です

唐代史、道教史、陶磁史、獅子文化、司馬承禎の生没、唐代のあらゆる歴史事象が、この

天寶元年、神噐・太極「寶」を指し示すのです

陶磁器の窯場を除外しても、神噐「寶」は中国4000年の歴史に燦然と輝いているので

平成19310