第三章(八)   『則天武后』

玄宗皇帝の偉大な祖母です

中華帝国で唯一の女帝です

当時の未熟者の私に取って則天武后は難敵中の難敵でした

武后と最初に出会ったのが最終刊行の3年程前であろうか

まだ武后の所業を受け入れるには正直言って若かったのです

HP「寶」本の第6章「勅」則天武后を読んで戴ければ分かるのですが、彼女の生き方を

飲み込むには、自身相当無理を致しました

今は武后の功罪を冷静に受け止める事ができようになりました

むしろ今では傾城傾国の女、楊貴妃の方が私には嫌悪を覚えるのです

武后より楊貴妃の方が、傲慢かつ狡猾な心が観えてくるのです

玄宗も私同様、盲目に近かった

武后の方が、より自分に正直で、赤裸々であった

毛沢東と比較したら可愛いものです

40万人生き埋めにした秦の白起などを考えればそんなに驚くことは無い

西太后などから見れば、政治家として遥かに上等です

武后の民活、人材の登用は見事でありました

武后時代、農民暴動も無く、民衆はまさに太平を謳歌したのです

また彼女が唐代文化の黄金期の基礎を造ったと言って過言ではありません

それはさておき、武后が『旧唐書』によると皇帝の玉璽の名称を「寶」に改称しているの

です

旧唐書

この事が私を混乱に陥れたのです

しかも武后は承禎と接見している

承禎がこの奇跡の韻文を武后に進講したのか、果たして「寶」焼成を進言したのか、

「寶」の価値は不変であっても、当時の私にとっては深刻な問題でした

歴史を正したい、真実を知りたい

その思いで一杯であったのです

七転八倒の末、その答えも天が教えてくれました

則天武后は改元偏執魔です。

武后の元号に、「寶」も「太極」もありません

また有名な則天文字にも印面の「日」「月」ではありませんでした

決定的なのは睿宗・玄宗二人に「寶」の聖文の尊号はありますが、武后にはありません



○は星
日月陰陽の画数は謀計され
奇数と偶数が逆転
天子が女帝となる

則天文字の図


ちなみに水戸黄門の光圀公の圀は□、四方の中が八方である。

四方八方、圀は則天武后の天下である。

天下は九の永遠の数位でなければならない

圀は九画です。


画数は謀計される。



以上則天文字研究の蔵中進先生、そして『監獄都市』『放蕩都市』(文献136・137)

の大室幹雄先生にも深い敬意を払うものです

そうそう上記「則天文字」の「日」「月」の画数が偶数と奇数が反対になっています

女が皇帝の帝位に史上初めて就きました、

その日月・陰陽の逆転を秘めた漢字の解釈を私は今の所散見していません

恐らく私が最初の筈です

第二章漢数術でお話した「晝數」は易で謀計するでありました

平成承禎、稀代の妖怪、武后の妖術を見破る!!!!!

平成1935