第三章(四)  『玄宗皇帝』



  泰山封禅の儀式

まず先に左記碑文をご覧下さい

河北省「易県」に今も現存すると聞きます

開元20年玄宗皇帝が自ら注釈し刻したものである

と言う

「太上玄元皇帝」とは、印文にある「太上老君」即ち

「老子」の尊号であります

「道徳経」は「司馬承禎」が編纂したものです

碑文は「道徳経」が「大唐開」く、とあります

玄宗皇帝の「寶」の思いが伝わって来るようです


それでは、少し「寶」に密着して玄宗皇帝の動きを観てみる事にいたします

前項の尊号の積み上げを観れば、この奇跡の“聖文”に対する彼の喜びがいかに大きかっ

たかが分かります

尊号は「寶」焼成前から加上されています

即ちこの奇跡の韻文の大宇宙に匹敵する“太極の神知”を玄宗は殆ど理解していた事の証

左です

皇帝とは言え1300年前の一人の人間です

この後私が第六章で解説する驚異の漢数術、九文字に秘められた漢文化の神知を彼は理解

していたと言う事です

第六章で、私がどれだけ皆さんに理解していただけるよう解説できるか分かりませんが、

私に取って、玄宗が殆ど理解していたと言う事は驚き以外の何ものでもありません

それはさておき、開元14年に玄宗は、歴代の皇帝がなかなか果たしえなかった泰山封禅

の儀を執り行っています

泰山には陰陽二神が祀られ、封禅の儀は、天と地を祀る祭礼です

『旧唐書』によれば、その祭礼に玉牒と言う玉器の石函に“秘密の文言”を入れ、天に奉

げる儀式が付されたという

石函に入れられた文言は一切公開されない神に奉げる秘密の文言であったと言います

まさに、この秘密の文言こそ、神器「寶」の印面に刻された“神の文言”なのです

 唐の摩崖碑。右端は唐の玄宗が開元14年(726年)

封禅したときにつくらせた「紀泰山銘碑」大黄河(文献124)



玄宗皇帝にとって、神器「寶」焼成なくしては、開元の治世の完了はありません

焼成の暁には元号、「天寶」は既に決めてあります

大唐の真の春は今少し先であります

そして天寶元年、30年の歳月を費やし遂に「寶」焼成なるのです

「寶」は洛陽、玄元皇帝廟に厳かに奉納される

春爛漫、大唐は国を挙げての祝賀であります

玄宗皇帝の歓喜の鼓動が聞こえてきます


道教の神秘

「玄」の文字を載冠する皇帝は

唐朝で玄宗皇帝ただ一人です



                                   平成1934