「寶」の道    (九)

 

 

私はそれまで知り合った古美術商にも、何か情報はないか八方手を尽くしたが色よい返事

は返って来なかった

私は金沢の図書館にも2度程足を運んだ

そして売り出し目録がないか探した

しかし前田家の子孫は既に東京であった

私はこの問題に関し割りと淡白で、あっさり諦めたのです

たとえこの「寶」が加賀百万石の前田家から売り出された品であっても、中国皇帝の、何

時の時代の皇帝が命じて製作されたものか分かる筈は無い

また江戸時代は現代のように情報が豊富な時代では無い

私の心の奥底のどこかに、自分自身の手でこの「寶」を完璧に解き明かしたい野望が渦巻

いていたのであろう

今から思うに己を全く知らぬ、とんでもない男であった

いや天が私に全てを委ねたと思うしか無い

天命がこの件の追求を押し止め、時間の浪費を防いだと今も思っている

平成19224