8章1・漢字の北極星

 

さてここで、これまで繰り返し述べ、又解明してきた「寶」の漢大宇宙を、唐代及びそれ以前に遡

る太古の人々がどのように観ていたのか「寶」を通して遥か太古に遡り、今少し観て見ることとしま

す。

そして後で、唐代の天才哲学者・司馬承禎の宇宙観に迫り、大宗師観ていた「北極星」の“座標点”

を探して見たいものです。

ここで宗教形態を成す以前の道教を、一応「原道教」と呼ぶことにします。

序章「道教」で初めに触れた、この原道教の「導士」(道士)・シャーマンが行う呪術や占いが、殆ど原始

文字が発生する以前から行われて来た事は間違い無いであろう。

図1

    甲骨文字

この道士は、その当時の軍事・科学・食料生産に必要な天候予知など、あらゆる面での指導者でした。

このシャーマン道士の手により、文字の萌芽を醸生させ進化を促したと考えるのです。

このシャーマン道士の呪術や占いによる文字への関わりは、漢字の祖先的存在である「殷嘘」の

「甲骨文字」に印象的に観れるのです。

1「甲骨文字」は文字通り、亀の甲羅や牛の骨に焼き付けをし、現れたヒビ割れの形象で吉凶を

占います。それからシャーマン道士の手により、この神の託宣を「ト辞」とも呼ばれています。

『中国古代漢字学の第一歩』(文献115−79貢)によれば西周時代の甲骨に「六・八・一・一・五」と

か、その他、数字による卦の原始的形式がうかがえるとあります。もちろんここで言うシャー

マン道士の「ト」とか「卦」は、『周易』の八卦そのものではありません。文字の源泉・原始時

代でありますが、この初歩的漢字の甲骨文字には、「原道教」の道士が深く関与しているのが観られるの

です。

又同書は、漢字を学問的に研究する時、文字の「形」「音」「義」の三要素、さらに六書「象形」「会意」

「転注」「指事」「仮借」「諧声」の六つの要素から観るのが研究の基本であると言います。そして学

問的に古文字を研究する時、決して字面を見て憶測してはならないと警鐘を鳴らしておられます。

近代以前、道教信徒の大部分は文盲の民であったろうし、「日」「月」に代表される象形文字は、太古よ

り、この文盲の民にとって文字に秘められた象意は、殆ど感覚で捕らえ理解されていたと想像するので

す。

逆にまた「武后」の様な、それなりの高度な知識を有した者の中には、この象形が秘める太古以来

の文字の成り立ちにおける呪術的な匂い、そして形・音・義から“読観’’とる象意に、摩詞不思議な

宇宙を感じる者もいたであろう。


2・3・4は道教の一種の霊符、及び道教の道・タオの世界を現した文字であろうが、これらの

極端に図象化した文字を大衆信徒が観る時、甲骨文字時代の原始的幻影と文字の図象に秘められた神

秘性が溶解し、霊力を感じるのでしょう。

もっと高度な道教の文字を使った法術“言霊”を“体感”するのに、霊符をまさに飲み込む「呑符」

の術もあると聞きます。

我々日本人が抱く漢字のイメージよりも、彼等は、もつと深い深層心理の所で、通常的に“観”

ていると想像するのです。

今日でも、第一線で御活躍の文字研究者の先生方の中に、難解な古文字、また漢大宇宙と対峙した時

、「原道教」の深淵な太極宇宙を痛感しておられる方がいるのではと、一人考えるのです。



私はこの6年間、陶磁器の“美”に魅せられはからずも漢大宇宙に乗り出し、今、漢文明の胎動期ま

でさ迷い込んでいます。

この印面に天篆された神字「老」北極星を仰ぎ見て映る“美”その私の網膜に映る陶陶の「美」

を第1章19で述べた画数の卦爻で、天子皇帝そのものを焼き上げた「美」を見ることといたします。

ご専門の諸先生に轟々たる非難を承知で敢えて踏み込む事とした…なぜなら、本書に迷い込んだのも、

まさに私の身の程も弁えぬ“美”への果てしない執着であったからです………。

今は後世に汚点を残し轟々たる非難を浴びる事も、また楽しからずやです。

さてこの「美」の文字を見ると、文字天上の「日」「月」陰陽“光の冠”二画と「王」そして「大」

の三部、天地人から構成される。

広大な国土「大」の上に君臨する「王」の古宇の元は『大漢和』「玉」であったと言う。「玉」五画

の点「一画」を隠し、道教の神、原始天尊として天隠した全「九」画に現わす。

この美しい天子皇帝の姿、全「九画」が「美」の文字であろう。

勿論「月」「日」光の冠は、左右の筆力を見るまでも無く、天印「寶」の示す位置であり、日月

の二画を除いた七画は北斗七星である。

遥かな夜空を眺め「王」に秘めた玉、点一画、玄なる彼方の北極星を観る。 本書第1章19項で解

説した「始」の連想ゲーム同様、このような無謀な視点からの文字解釈は私の乏しい知識在庫には無

い。

その様な意味で、近い将来「寶」創造の過程で唐代に創造された、承禎文字・寶文字その研究が開

始されん事を楽しみにするものです。

紀元約100年、中国史上最初の字典『説文解字』を編纂した「許慎」は、その字典を「寶」の‘‘全九文

字”そして“中央六画”と同じく、陽極の「九」、陰極の「六」を交合させた6×9「54」に基づき

「五百四十」に字典を分類して「寶」に秘めた『陰陽五行思想』の哲理を基に漢宇宙を編纂したとい

われています。

諸橋先生の『大漢和辞典』全巻表紙にも、「易」の「太極」を納めた『唐千秋万歳鐵鑑』を掲げてお

られます。

この『大漢和』の最終最大画数は、本書が指摘した通り「六十四画」易の「64卦」承禎文字です。

文字文化に偉大な足跡を残した日中の鉄人は、約1900年の時空を超え、共に同じ「漢」大極宇宙を観

つめていたのです。

この原道教と漢文化は儒教と仏教が広まる遥か古代より、その原始的思想と根本的原形を継承発展

させながら、共に触発し今日の中国文化を創造したのです。

そして、謎に包まれた天才宗師「司馬承禎」もまた印文、「九文字」の 「太」と、「老」の“六

画”「極」、すなわち『太極』という無限の宇宙を観つめていたのです。

 

       平成9年11月5日・1時・遠く星空を仰ぐ