7章「金」・「故宮」と「天檀」

 

この神噐・太極「寶」焼成期間、開元の約30年は、以後の中国史を考える上でどの様な位置付け

をしたら良いかと考えた時、私は中国「皇帝文化」の確立した時代と位置付けています。

易と陰陽五行思想その太上に戴く中華思想の金看板「太極」を史上始めて年号として掲げ、文化の基

を確立した時代と位置付けています。

私は確立された文化の総称を“皇帝文化”と呼んでいます。その皇帝文化の極が太極の具現、神噐「寶」

です。

この神噐「寶」の獅子像、及びこの印鑑を創造する段階で、過去のあらゆる歴史的文化遺産の整理検証

がなされたのです。

「元」を開き天の「先」を開くそれが「開元」であり「先天」の年号です。そしてこの時代こそ天の

先、元に正す中国文化のルネッサンス期なのです。そして中華文明の華、皇帝文化の完成が「天寶元年」

であり、その文化の極が神噐「寶」です。未だ見ぬ中国ですが、この皇帝文化、天子の思想を今に伝え

る宝庫、それは「故宮」でしょう。

それではこの天寶に華開いた偉大な文化。この大唐の神噐「寶」の法理、法則は当然この中華の皇

宮であった「故宮」に厳然と観れる筈です。

「故宮」(写真@)は「明」「清」両朝の天子の居城で「紫禁城」と呼ばれ、現在は博物院になっているそうで

す。



「寶」の完成が太古以来の天子の思想の完結であり、後世の天子のあるべき規範、絶対的モデルとなっ

た筈ですから、中華の皇宮であった故宮の最重要地点、奥の院の、そのまた奥にある天子の「玉座」の空

に、約1300年の歴史の闇を照らし、「寶」の光は一直線の光の帯びとなって垂直に差し込んでいる筈です。

叉、清朝に創建されたと伝えられる天を祠る祭壇、則天武后が建てた「万象神宮」の再現とも思える、天

檀「祈年殿」(写真A)にも、必ず「寶」の法理、法則は見える筈です。

どちらも一度は、訪れて見たいものです。

図Cを参照すると、君子南面であり南の正門「牛門」から一直線、北極星の方角、金水橋を渡り「太

和門」をくぐり、外朝の「太和殿」「中和殿」「保和殿」、そこの門の東西に鎮座するであろう宮廷守護の

獅子(写真B)に“一礼”をし、「乾清門」を一気に通り抜け内延に入ります。

この皇宮の内廷「乾清宮」「交泰殿」「乾寧宮」の、最重要建造物、その前後二宮の中央「殿」と呼称され

る『交泰殿』こそ、天子の宝、傅国の宝印が蔵され、建物は南北垂直方向一直線に居並ぶ主要建物で、太極の

ため一番極小であるが、これこそ天子の正殿です。

ここへ辿りつくまでに既に多くの「寶」の法理を、きっと目にする筈です。

例えば、故宮の屋根瓦は「黄」で「寶」の印面の色、「門」及び「宮」「殿」に架かる石段の通路は、

「寶」の印文の「三清」「三才」を秘める「三行体」と同じ三つの通路、そして帝王の「五」、同じ数の

段の通路を確認しながら通る筈です。それではこの「寶」の光が最も強く差し込む「交泰殿」の写真を、

次ぎに掲載するのでまず見て戴くことに致します。


玉座左右には七宝の獅子“天子諌言の獅子”が置かれてあります。

この獅子は天子と天子の宝、傅国璽の印を警護するのです。この天子の玉座、天上には「無為」の文字

が掲げられてあります。これは天子が金科玉条とし、厳に守らなければならぬ「寶」の真理です。道教の

開祖「寶」の神、太上老君が説く、天の真理が正に金科玉条として掲げられてあります。儒教でも仏

教でも無い、正に「寶」に印された太上老君の教勅です。

そして、この額の背景には「寶」に秘めた上り寵・下り龍、そして玄に天隠されていた正龍の

五龍が、金色即ち中華の色、黄帝象徴の色で描かれて在ります。もちろん玉璽のカバーの色、玉座も同

じです。

そして写真E、天円地方、そして太極を現す宇宙が、天井に方形とドーム状の組み合わせで造営してあ

ります。

写真Fは故宮で最も有名な写真などでよく見かける大和殿の天井です。

何度も行かれた方、又「故宮」通の方でも知らない方が多いと思いますので、この点だけは指摘し

ておきます。


基本的には「寶」の道理でありますから、「交泰殿」と同じで説明は省略しますが、天井の升目、

日本で言う「格天井」を注目し数えて見てください。

縦横の升目は、9升と11升、全部で9×11=99升です。中心の

大きい四角の大升は「一」を現し、残った小さい升数は50であります。

後は説明を省きますが、最後に写真2、天檀「祈年殿」を見ます。

清代に再建されたと聞くこの建物とその全体は、「寶」宇宙そのものを創造したものです。

「祈年殿」を取り囲む天檀は「三」の数、三重「円」形です。

その円の「直径」は上層より1×9=9丈、3×5=15丈、3×7=21丈で全て奇数、陽

の数であるといわれます。


又、上層の敷石の数は中心「一」を最初に囲み、同心円状に配列し、9×1、9×2、9×3、9

×4…・9×9=81と、整然と並べられてあるとされます。

以上、まさに「寶」制作時、大唐がそれまでの天子の「道理」を“整理し明確化した、いや不動

の道理”として確立した、「天子の思想」「天の道理」が1300年を経た「故宮」に厳然と見れるのです。

全て玄宗と司馬承禎、この「寶」が一切の源であります。