6章「日」・歴史の序曲

 

玄宗の人物像をうかがえる彼のエピソードは数多く残されています。

1300年も昔の、しかも、犯すべからざる聖域にあった天子のことです。それでいて彼の人柄

が、具体的かつ、細やかに、まるでどこにでも有るような話しとして今に伝えられております。

これは当時、玄宗自身がいかに解放的人柄で、いちいち小さな事に拘らず多くの人の気持を受け入

れたかの証拠です。彼のこの偉ぶらない性格が、後の世に語り継がれ、惜しまれ、あの長恨歌を生

んだのでしょう。

彼の時代は抜けるような青空、花咲き匂う長安、自由で生き生きとした文化の最盛期でした。祖母

武后の、燃えるような赤とギラギラとした黄金の色を彷彿させ、しかもその影に陰惨な、黒の色を

溶かしたような時代と、対称的時代の到来でした。祖先を敬い、兄弟を思い、楊貴妃を愛しむ純情

さ、クーデターをやり遂げる果敢な行動力、そして何より明るく感情が豊です。

そして書・その他芸術的センスが抜群で、英明な皇帝です。

少し褒め過ぎですが、おそらく彼は血液型「0」型気質でしょう。楊貴妃は「0」型に近い「A」

型に観えます。

人は自らの血の中に、太古より複雑かつ微なる宿命を宿し、そして幼き頃の環境や出来事の数々

に喜び驚き悲しみ成長する。

そして良きにつけ、悪しきにつけ後の人との出会いや出来事に、悲嘆し、怒り、喜び、感動しな

がら、より自分を高めようと努力し自らの歴史を綾なす。

何時の世もそうですが、特にこの時代を決定する源は「皇帝」です。

あの「安史の乱」に歴史のコマが一気に雪崩れ落ちた真の原因は、彼の余りの理想主義、楽天主

義、人を信じ過ぎる面が引き起こしたのであろう。次に、あの有名な「長恨歌」の一節を載せ、

しばし二人の賛歌を聞きながら手を休めさせていただきます。

ここで、このような不確かな人間性に踏み込んだのは、この6章で、さらなる歴史の闇に挑戦しな

ければならない、とてつもない“気”が,私の運命に強く働きかけるからであります。

この項は、その「歴史の空白」への序曲です。

その歴史の闇に轟くものの正体は、頭脳明晰、そして若き頃、美しく豊満で“気”は俗人より何

万倍も鋭い、中国史に輝く偉大な女帝です。それは他でもない、あの則天武后です。避け得るも

のなら避けたい希代の妖怪です。承禎が託した皇帝は誰か、『大漢和』に載る「寶」は果たして武后

が命じたのか、この大命題に答えるには、調査と心の準備はまだ整いませんが、歴史の扉を、さ

らに開くには、避けるわけにはゆかないのです。

また「寶」に辿り着くまでの、武后時代からの政治文化の流れ、その所見を述べねば、本書の完結は

ない。

さて本書歴史部門、最大の難関に立ち塞がる武后の正体は、単なる史書の記述面だけをなぞるだ

けでは観えません。武后と真っ向から対峙し、彼女を透視しなければ、「寶」の歴史は観えてこ

ない。これは半面、深く記憶に残るであろう世紀末(1998・1999年)、混沌を深め

る現代社会に対する自問自答の戦いでもあります。またこの項と、この章「勅」の爻は1300年の歴史

の彼方、白鳥座Xに、女の命を犠牲にし、多くの生け贄を捧げ、天下万民に尽くしくした妖怪が今も

血の涙に濡らし酒池肉林の饗宴をくりひろげる彼女への貢ぎ物、鎮魂の爻でもある。

衆愚は知らず、変わる事のない為政者の血の涙を・・・。

聡明で行動的、決断と実行力の女帝、魅力溢れる彼女をイメージし、夜空を見上げ、白鳥座Xにある

というブラックホールに照準をあて、全エネルギーを注ぎ満天の夜空を仰ぐ。

妖怪武后の体内には、漢人の血に五胡と呼ばれる遊牧人の血が遥かな歴史の血潮となって流れる。

木材商人であった父の豪気な陽の気、その表裏の内面に立ち上ぼる“陰の気”の限りない上昇志

向。したたかで粘り強く、バランス感覚に富み、そして計算高く、機知に富む気質をさずかる。

また信心深く、陰の気の強い母の妖艶な気質と体質をあわせ受け、辛抱強く、呪術的傾向の深い

“感気”鋭い“妖精”が醸成される。

父母いずれも生と性の執着は並外れる。

そして蛹は蝶となり、蝶は妖怪と化し、複雑怪奇な妖怪は、ついに「武照」その姓名に相応しく「武」

一族を“照す”。

若き頃の愛称は「武媚」で、『大漢和』に「媚」は「化け物」「たぶらかす」また「眉」に通じます。

時空を超え女帝、武后を観相する。

大きく、それでいて目元の見事な切れ込みと締まりは、夜の湖のように澄みきり、輝く瞳からは怪しい虹


と情実表裏の光を放つ。
外連味のない凛とした眉は、なお一層、魅惑と気高さを漂わせる。

まさに天下万民を威圧する女帝の瞳である。

艶やかで、軽やか、それでいて芯の強い漆黒の黒髪はそれだけで万金の値を有し、富士額とうなじ

の、生え際の美しさは、女帝としての気品を漂わす。また気高く、かつ堂々とした鼻は知性と品位、

気位の高さを物語る。耳は大きく豊で艶があり、うっすらとピンクに染まる立ち耳である。全身の

骨格は父譲りで、女としてはガッシリと骨太で中華の屋台骨を支えるに相応く、当時として大柄な

部類に入る女性であったろう。また豊な頬肉に隠くされたエラ骨の張りに、彼女の並外れた意思の

強さが窺われる。丘陵を描く広角な額は運気の強さと、智力、優れた理論家であることが窺え、頭

脳の並外れた発達が観える。

豊な臀部と乳房、それでいて締まったウエストは五胡の血を引き、まさに官能的以外なにものもな

い。手足も平均よりかなり大きく肉付きが良い、足は大地を力強くそして軽やかに捕らえる。‘‘牝

の虎”のしなやかな肢体は父母の特徴を顕著にうけ、さらに天与のきめ細く艶やかな肌が、その骨

相と野望渦巻く肢体を纏う。肩広で、全体に強固な骨相からは、堅固な意思が窺え、手は観音菩薩

のようにフックラとした肉付きで、指先は奏者のようにスラリとして繊細、多彩な能力を物語る。

大きな口は上下とも官能的でありながら品位を漂わせ、キリリと引き締まった口元は情実を巧みに

使い分ける能士としての才が窺える。鋭敏な喚覚と聴覚、並外れた五感、全身から発する陰陽の気、

度に発達した自己防衛本能は全身これ生まれながらにして戦う女“旭日昇天”の運気、女帝と

なる宿命を宿す。

まさに彼女を観ると、1300年の時空も歪められ気は乱れる。

何十億光年の彼方です。私の視界もこれまでです。

一応かなり不確かでありますが則天武后を観ると、「B」の気質を色濃くした「AB型」の確実な

“観音・妖怪型”と申しておきます。

情夫、薛懐義は「O」型の“筋骨隆々・異相の怪物型”であり、双方対称の中にも魅力たっぷり、蜜

月魔界のカップルです。

妖怪からすれば、片手であやす夫は「B」型の“スリムで意思薄弱型”です。正に武后にとっては赤

子同然、夫からみると若き頃の彼女は、心身とも甘えられる、やり手の女社長、夜は娼婦、昼は良妻賢

母、“表裏の一面”は全く非の打ち所のない完壁の女性にみえたであろう。

因みに武后が深く信頼した狄仁傑は「鉄人型」の「A型」に、まず間違いないであろう。妖怪武后

から、絶えず観察されやすい気質の狄仁傑は、天地不動の境地で勤めたと想像されます。

最後に司馬承禎はBの気質を含む「0」型で、極度に節制を積んだ“神秘万象型”と申しておきます。

おそらく生涯最初で最後となる「書」であります。大方のお叱りを背に先へ急ぐことにします。