第5章・「太極」



  本書、巻末第3版第1刷発行、平成11年9月5日、最終「貿」本仮仕上げ後の同年10月10日、『新

字源』角川書店・巻末「中国年号一覧表」にて遂に“太極”の年號を発見する。

そして、本書中央中天5章に「太極」の爻を掲げ、念願であった本書全体を易し“太極’’を図

ることが出来た。

『大漢和』、「太極」の欄に玄宗皇帝・睿宗皇帝の年號とある。

まさに、混沌の中で吉野博士の著書、そして眼前の『大漢和』の記述を見落としていたのである。

太極圏の乱気流と目前の推理検証に忙殺され、考証の初期段階で見ていた偉大な「太極」の年号

を完全に見落とし、以後年号の存在まで思考が至らなかったのです。

易と陰陽五行思想その太上に戴く“太極’’は皇帝文化・漢文化の神髄を貫く。

これまで、時間と物心両面の戦いに余裕は全く無なかった・・。

全巻まで手が届かなかった吉野先生の著書に載る太極の年号の記述以外、私の調べた限りの文献

その巻末年表に「太極」は掲載されておらず、皆「先天」の年号が選択されてあった。

本書、巻末712年、年号「先天」、同年は「太極」で『新字源』いずれも干支は“壬子”とあります。

壬(みずのえ)子(ね)は陰陽が出会う所、まさに太極の極地であった。年号「先天」を観るに“天の先”

即ち「天」が開く前で「太極」と同義語です。本書巻末年表を御覧あれ、712年は、まさに宗、太

上皇と退き、玄宗皇帝即位の年である。

本書巻末年表、同年左司郎より王侯、貴族、諸侯の明器(唐三彩などの副葬品)の製作は、全て請願’’

とある。

これは何を物語るか。

まさに、中国全土の陶工は、この神器・太極「寶」制作のため、本書第1章14項・神器誕生の窯場に

招集される大号令、玄宗皇帝の勅令が発せられたからである。

王侯貴族たちが、祖先の墓に飾る明器・唐三彩が焼けなくなったのである。唐朝は、王侯貴族の

先祖を祭る明器、全てを請願制としたのである。巻末年表「太極」の712年、玄宗皇帝の勅令から

718年、璽を「寶」に改称するまで、約6年の年月がある。

この期間の歳月は何を物語るか。

4章8項、「寶」制作の一大組織は編成され、第1章14「官窯と神器の儀礼」で解説した、巨

大な窯場の造営と、陶工集団が聖地に集結し一大、陶磁器生産地、「官窯」誕生の期間である。

平行して、唐代以前遥か古代に潮る伝説の獅子「白澤」を第1章5で解説した、その造型の果てし

ない考証および論議期間である。

大宗師、司馬承禎が太極した奇跡の印文を鎮護する黄帝伝説の「白澤」その造詣をどの様な獅子

像とするか、伝説と「太極」に照らし、喧々たる鳩首会議その年月である。

まさにこの奇跡の印文“太極”を鎮護する永遠不滅の獅子「白澤」の考証である。太古の歴史に

遡り、あらゆる伝説・文献を検証する歳月である。

当時の歴史学者、儒者、道家、芸術家、陶工等を交えた、果てしない論議の時が観える。

またそれまでの唐三彩のような陶器では焼き上げ不可能を既に経験している、陶工集団とその関係

者の新素材開発の年月でもある。

璽を「寶」と呼称を変えた718年、第1章5で解明した、伝説の獅子「白澤」の造形は決せられ、

五行の巨大などラミッドは完成し、「寶」焼成の準備は全て整えられた。

そして本書第1章14で解説した、大宗師・司馬承禎を迎え・道主皇帝玄宗・参列のもと請神の儀を執

り行ない巨大な五行の窯に、ついに点火された。即ち、この神器・太極「寶」を焼き上げるため

準備期間を入れると約30年の歳月を要したのである。

驚くべき陶磁器「寶」まさにメードイン・チャイナの原点である。

この太極の年号発見により、本書中天5章、最終仮本の「天」「地」「人」「寶」の爻に「太極」を

掲げ、ついに本書の「太極」を図ることができた。

即ち、本書中天に5項を配当し、この5爻を天子皇帝の「一」爻と易する。この五爻に「載」の爻

を加えた中央中天には「老」六画が隠れ星座する。全九章各爻は、各章の「載」一爻と交合し、

全ての星座は点滅、瞬く。

伝説の天書は光る文字で書かれてあったと言う。

巻頭「はじめ」には、混沌の太極マークを掲げ、序章に北斗七星、五章「五」爻を天子の「一」爻と

易すれば全9章全爻は、補足と中間報告のホワイト・ホール、また小ブラックホールを除くと64卦

となる筈である。

そして門外漢が不遜にも踏み込む、この後の第6章、陰極の「六」章、その九爻全てを、後世の真

の歴史家に、さらに詳細かつ濃密な推考と考証を託し、6章の爻全てを遥かなブラック・ホールに

玄じれば、「寶」印文全画数と同数、天地の総和となる筈である。

この「太極」の年号の出現により、本書の枝葉な錯誤、誤字脱字、文法的問題点などが多々あっ

たとしても、太極「寶」の“大本”は、間違いなく完壁に証明した筈である。

意図したとはゆえ、本書の‘太極’全ては偶然と必然、己の才知など太極圏の塵にもならない無知

の知の所産である。

本書全9章を一読され、再びこの中央中天5章、この太極のもどられて、もしこの神器「寶」

が唐朝の神器「寶」とご理解戴けないとするなら、お粗末としか言い様がない。

知識で見ては到底観えてはこない神器・太極「寶」である。

選択した専門分野の深山に分け行っても、霊峰の峰々から絶えず観測していなくては、目指す峰

の高さと、渓谷の深さは観えない。

この後も読者は、引き続きこの歴史の闇そして続々発見する歴史の新発見を目撃するであろうが、重ね

て、この章「天」「地」「人」「太極」「寶」の5、そして「載」「一」を加えた、〈陰極の「老」六

画が鎮座する太極のに、読者が本書を読み終えたとき、改めて還えり観る“太極’’への登龍門、印

文中央五行・そして六画「老」の中天である。

伝説の黄帝、蒼頡、伏義などを生んだ漢文化の胎動期、そしてあの戦国乱世に輩出した偉大な思

想家群いわゆる諸氏百家の時代を経て、中国5000年の文化は「太極」・「開元」神器「寶」誕生

の「天寶」年間に黄金期を迎える。

現在そして後世、中国5000年の文化を書き著す時、年号「太極」「開元」「天寶」この金看板を

大枠で囲み、一段頭上に掲げなければ『道教史』『唐代史』は色あせた史観となるであろう。

重ねてこの太極の「寶」こそ、淡渓の硯とともに、天下に貴賎なく用いられた唐白磁の金字塔、メイド

イン・チャイナの原点、基である。

『道教史』「唐代史」は大きく塗り替えられ、さらに中国「陶磁史」に、この「寶」は特筆され、唐代

文化の黄金期に創造された文字文化にも新たな光が差し込むであろう。そして「太極」「開元」「天

寶」の年号は漢文化の不動の年号として後世のあらゆる中国歴史年表の金看板として掲げられる

筈である。漢文化圏の中国研究において、まさに「寶」特需が巻き起こる歴史の一大事である。

この「太極」「閲元」「天寶」の年号は、第6章歴史ので本格的に登場する、則天武后により歪め

られた唐朝の基、天の理を正し“元を開く”司馬承禎そして玄宗皇帝の強い意志がこの年号とな

っているのである。

まさにこの太極・神器「寶」は、漢文化の神髄、太極の光である。

漢文化5000年の歴史にこの太極「寶」は特筆され、重ねて漢文化の歴史は塗り替えられるであろう。

この五章五叉は、本書の中央中天に、その偉容を現した「玄元皇帝宮」その“登龍の門’’その門

前である。

 今、太極殿その登龍門の門前に正座し、一人瞑想する。

 

                             平成11年10月20日

 

病棟に朝日が眩しく指しこむ、世に問う船出の日、秋晴れの朝であった。