第五章「天」・『道』

老子は語らず、承禎もまた語らず・・・。

「寶」は「道」の具現、大極の具現、「無」の具現なのか。

「道」は宇宙の本源、「大極」は宇宙の道理、無は「道」と「大極」の本質、大宇宙の母体。

「道」は宇宙開闢以前の光も時空もない「無」としか表現のしようがない状態より存在し

た永遠不滅、無の大宇宙で、あろうか。それとも無の淵源より湧きでる大宇宙の道理であ

ろうか。

「太極」は、その大宇宙を究極に現した「太」と「極」一体のビックバンです。「寶」は、

観念、心でしか観得できない大宇宙を印籠した「噐」“道の具”です。これ以上は“わか

らぬが道理”「無」の無限の宇宙です。「寶」に天隠された「道」は心で観得するしか術

のない宇宙の真理、無尽蔵の宝庫です。「寶」に内臓された九文字、漢大宇宙は人類文化

“太極”の「寶」です。

「寶」は「道」の具現、「道」は「寶」。

太極「寶」は人類文化不滅の「寶」です。

 

「荘子」前四世紀の後半、戦国中期の人、名は周。道家の中心的思想家、その論旨は老

子に本づき“老荘”と称され、共に道家の祖と稱せらる。『荘子』(文献155166頁)三

十三篇・内篇・大宗師で「道」とは何かを説く。老子・荘子・司馬承禎、三者いずれも

歴史にその偉大な足跡を印す。人類に不滅の真理を説いた三人の「大宗師」は共に、「道」

の“真人”として、本書「寶」の中天に祠られてしかるべき道家の「三清」です。その

真理の「示」は人類永遠不滅の「道」である。

次に『荘子』の示す、「道」その原典と解説を次に戴くこととします。




<解説>

 「道」とは何であろうか。変転する万象の根元に思考を溯らせてゆけば、どうしても「道」

の存在を否定するわけにはいかない。しかしそれは、無としか表現のしようのないもので、

心に感得することはできても、感覚で確かめることは不可能である。他の何物にも依存し

ない独立のもので、天地の開闢に先だって存在した。

 鬼神も上帝も天も地も、その淵源はすべて「道」である。天空の果てよりも上になく、

大地の底よりも下にあって下にない。

 悠久の過去より存在してしかも存在せず、久遠の未来に存在してしかも存在せぬ。

 この「道」を付与されたために韋氏は天と地とを連絡させた。

 伏義は陰陽をつかさどった。北斗は未来永劫にわたって天体運行の指標となった。日月

は永遠に万物を照らしつづけることになった。

 堪杯は「道」を付与されて崑崙山の神となり馮夷は黄河の神となり、肩吾は泰山の神と

なり、黄帝は神仙となって昇天し、「せんぎょく」は北方の帝となり禺強は北海の神となり、

西王母は小広山に棲む不老不死の神仙となった。また彭祖も「道」を付与されて舜の時代から五

伯の時代まで生き永らえ、傅説も殷の高宗を補佐して天下を平定した後、昇天して東の空

に輝く星の一となった。   『荘子』(文献155

 以上この荘子が説く「道」とは何か原典に、日月・北斗・黄帝・西王母、その他、「寶」

の神々・仙人等が語られ、天印「寶」の真理と法理が明示される。「荘子」の書は天寶元年

「寶」奉納記念に合わせ玄宗皇帝より勅令を発し、道教経典「南華真教」となり、荘子は

列仙の一人「南華真人」と奉られる。

 約1300年前、司馬承禎は万巻の書を修め、天の啓示をうけ、この「寶」を創造したので

す。

 偉大なるかな司馬承禎・・・・・・天印は前人未踏、不滅の「寶」です。