第五章「地」・『方圓の噐』

 
『老子訳注』(文献112)に解説される「老子五千言」を観ると次の

ようにあります。

第八章 ”最高の善は水のごとし”と説く。

 第四十章 ”最も四角な噐には「かど」がない”と説く。


        ”大いなる象は形が無い”と説く。

「水」は方と円、既ちどの様な形の器にもおさまり、最高の善は水の

ようなものであると説かれ、古来水は「方円の噐」に従うといわれます。

 最も四角な噐には角がなく、その大なるものは形すら無いと言われ、

この様な噐を「道」なる「もの」(噐)であると言っています。

 この老子が残した文言の解釈が、後世に「方円の噐」の伝説を生んだ

ものと考えられます。

 しかしそれは、あくまで実現不可能な、空想の噐と今日まで考えられて

きました。まさに「寶」は実現不可能な道・具、「方円の噐」です。「天円地方」

で獅子の頭はドーム状の円、印台は方形ですが、これを持ち出さなくても、

印台は皇帝の天下、世界です。

 老子は大きな噐は角も形も無いと説きますが、「寶」は無限の神知が内蔵

された”測量不可能”な天子・皇帝の巨大な天下・宇宙を印籠した方形であり

ます。

 既ち「寶」は形があって、形が無い、太極を印籠した、史上始めて、具現化さ

れた「方圓の噐」であります。

 司馬承禎が『坐忘論』および「得道の条」で述べる、「道は形神を易」える、

「形と神の合一」と説く、その深く秘めたる、その深淵には明確に「寶」が観え

るのです。

 正に想像すらも出来ない、そして合体不可能な「方」と「圓」を、一つの形に

した”法圓の噐”を焼き上げたのであります。

 偉大な司馬承禎は、開祖老子の説く道の噐”方円の噐”を発明したのです。

そして、その偉大な功績一切を「無為自然」の道に委ねたのです。

 正に老子の再来として、道の大道を歩む司馬承禎です。