第3章5・「寶」関連尊称に玄宗を観る



 開元の天子“玄宗皇帝”、彼のこの神噐「寶」完成による歓喜の“肉声”と“鼓動”を、

天寶元年から数年間の言動に観ます。(巻末年表を参照。)

 玄宗は、則天武后以来の歴史に特筆されるべき「璽」を「寶」に復しても、今だ年号を

「開元」と据え置き、天下万民の至福と大唐の隆盛に専念します。そして「寶」

完成であります。司馬承禎逝き、今や天子と同時に道主皇帝であり、“師”と仰ぐべき人も

今は世を去り、玄宗は名実ともの二冠王の天子であります。英明な玄宗が自ら陣頭指揮し、

故事と道に照らし決定した勅令の数々を観ます。

 742年遂に「寶」が完成し、「開元」を瑞兆開元して年号を天の「寶」降りる「天寶」と

し勅令を発し天下に布告する。同時に帝都長安・「西京」に対し、「寶」を奉納安置した旧

都洛陽に「東京」の尊称を謹呈し均衡を計る。

 同年、道教開祖・「寶」の神・老子に、「太上玄元皇帝」の皇号を呈します。

 次いで、かねて建築中の神噐、「寶」を納める大神殿「玄元皇帝廟」創建なる。さらに、

この「玄元皇帝廟」の呼称を、「玄元皇帝宮」と更に昇華格上げして改称します。

 明けて天寶二年、改称した「玄元皇帝宮」を、「寶」の、“獅子”に最も相応しき名

称「太微宮」と命名します。七年後「寶」をついに他の宝印と別格の「承天の大寶」と命名します。

 翌3年「年」の呼称を、史上希な「載」と改め、天より降臨した「寶」を“戴”くと改

めます。

 以上、挙げた通り、「璽」を「寶」、「開元」から「天寶」の改元、「玄元皇帝廟」を「宮」

そして「太微宮」、「西京」と「東京」の両京制、「年」を「載」、「寶」を「承天大寶」と命

名した全ては、この神噐「寶」誕生によるものです。

 その中でも、とりわけ一年余に「廟」「宮」「太微」と改称した定まりなさに、玄宗の

胸の鼓動と歓喜の肉声が、約1300の時を超えて私にはハッキリと聞こえて来るのです。

 なお私の力不足により、この項で特筆すべき玄宗皇帝の尊称か本書第8章6に後書き追

加されております。飛ばし読み、読者のご賢察を願う次第です。


 (注)『大漢和』「載」の(四)に、天地百神之所・億兆八紘之所、伝々とあります。又、

「載」は「載」につくるとあり「載」は、まつる・生まれる・飾る・おさめる・安んずる・

の意があります。

 「寶」に星座する北斗七星は、天の大時計・天帝を運ぶ帝車です。「載」に車の文字が見

えます。よって本書は「載」とします。

 第1章の「載」注Aの「載」を用いることを事前に断りましたが、この意味からです。

尚、「載」は印面の篆刻陰陽と同じで、章(象)と項(爻)が表裏一体となって本書「寶」を構

成しております。

 ()なお「天印」は「寶」との最初に直感で名付けた尊称です。

また獅子「白澤」の正式呼称を・白獅子・アポロと呼ぶのを合わせてご了解下さい。アポ

ロは執筆中につけた愛称です。