3章2・左祖右社




唐室「李」氏は、道教の開祖老子(李耳)を先祖であると崇め、特に玄宗皇帝は、歴代の

なかでも非常に熱心な老子崇拝者でした。自ら「道主皇帝」となり、道教を国境とした皇

帝なのです。

 第2章「天印の方位と位置」の項で述べた白獅子の体は、「西」向きです。

 ところで『周礼』に、“左祖右社”とあり、祖は「祖廟」を指し、社は「社禝」を指すも

のです。土地の神は(社)五穀の神は(稷)で、会わせて「社稷」と言いますが、この社

禝は獅子の顔の向く方を正面に見ると、左側で西を指します。その反対側、向かって右側

は、東にあたり宗廟の地、先祖を祭る所となります。

 第一章8に載せた図と獅子の写真を再度確認ください。即ち老子廟が祀られ、この獅子

が置かれた方位は東であり、「寶」が安置されるに最も道理に適った聖地です。

 玄宗皇帝は乾封元年、道教の神であり祖である老子に「太上玄元皇帝」と皇号を呈し、

神噐「寶」完成を祝し“瑞兆開元”の勅を発令します。

 同年「寶」を安置する東都「洛陽」を、「東京」と改称して格上げし、皇城端門の天の川

と呼ぶ「洛水」にかかる星津橋を出た所、皇城正門前の積善坊区に「玄宗皇帝廟」を創建

し、同年“太上玄元皇帝宮”と格上げ尊称します。さらに、翌年『太微宮』という最高名

称を献呈いたします。

 長安「西京」の大寧区に創建した「大清宮」と同格の、“特別道観”です。玄宗皇帝が政府

を執る長安「西京」と、天印「寶」を安置する「東京」の位置関係は、まさに東西“左祖右社”

の“拡大位置”です。

 天印の獅子は先祖を祭る左祖の“太微宮”に鎮座し、体の向きは、玄宗皇帝“守護”で

す。

 『大漢和』に「太微」とは“星垣の名・現在の獅子座の西端付近の十星に当たる”とあ

ります。“太微宮”は正に天印獅子が鎮座する“獅子座”であります。

 さらに『大漢和』「廟」は1・ゐはい、2・王宮の正殿、3・祖先の尊像を安置し拝する

所、また「宮」は1・君、2・星の宿り、とあります。そして、私がこの驚異の印文を創

造した人物として予言した司馬承禎の字名は“子微”です。

 驚くべき歴史の符合、“厳然たる史実”です。

 以後それでも懐疑的な方に対して、今後も重ねて根拠を提出し続ける所存です。

ついに玄宗皇帝が待ちに待った念願の「寶」が完成したのです。

「玄宗皇帝廟」(太微宮)が建つ積善坊は、玄宗皇帝が思春期を過ごした思いでの場所で

す。

 年号を天の「寶」・「天寶」と戴き、この奇跡の「寶」を祀り、密かに絶世の美女「楊

貴妃」を手にした、玄宗皇帝の胸の内が観える様です。

 まさに両手に華“天寶の大祝典”「開元の治世」で大唐の黄金期を迎え、共に祝う民

衆の歓喜の嵐が鮮やかに観えるのであります。