2章1・傍証・印寸法による時代測定



 
本論に入る前に、まず始めにこの神秘的獅子の焼き物と初めて出会った時の、その場の

印象をまずお伝えしたいと思います。

 約7年前、鬼才吉田翁拓の床で鎮座する、この獅子との出会いは今も昨日のことのよう

に鮮明に覚えています。翁宅の床の間と辺りの空気を祓いまさに“鎮座”する、その一言

でしか表現のしようの無い“座り”でありました。。

 この“座り”という言葉は陶磁器を見る時に使う言葉ですが、まさに“不動の座り”で

ありました。

 そして、謹んで手にした一瞬、予期

していた私の経験的予測重量よりズシリ

と思い焼き物である事に、瞬間これは大

変な焼き物であると直感したのです。こ

のような小さい焼物で、しかも壺などの

様な対称の形状と違う、“重厚かつ深い

座り”の威厳を放つ陶磁器と初めて出会

いました。

 約11×7×7センチ足らずの寸法の

焼き物で、経験的予測重量と明らかに違

う感触は鮮明な驚威として記憶している。

 今も残るその時の感触はこれから解き

明かす印の寸法に目を向ける重要な私の

伏線でありました。

 本論に向かいます。

 天印が完璧であり、天円地方、皇帝の天下が陶印の印台であるなら、その寸法に重大な

法則が厳然と存在している筈です。

 中国の『礼記』に王者が新しく天下を治める時、「度量衡」を定め諸々の規定を明らかに

するとあります。まさに中国では、それぞれの帝国の時代により、長さ・容積・重さ、そ

の基軸尺度を新しく定めていたのです。

 当然私が推定した玄宗皇帝は、“開元の治”を宣言した、はつらつとした天子であり、

度量衡を正したのは間違いないと思われます。

 それ以前の祖母にあたる「則天武后」下の暗黒の時代、そして、それに続く父「睿宗」

の不安定な時代、それらと訣別する新時代の諸々の改革と共に新しい度量衡を定めた筈で

す。それならば、その天下を治める印台の寸法には、唐代開元の度量衡の寸法が、必ず秘

めてある筈です。何故なら“天円地方”、地は方形で「印台」を指し、印台は天下です。時

代別の度量衡は僅かではありますが、少しずつ時代によって違いがあります。

 天の子、天子の寸法に誤差や欠けることは有りません。皇帝の天下です。絶対にそれ

が許される筈はありません。もしその様な焼き物を奏上すれば、陶工集団は勿論、関係者

及び一族全員の末路は自明のことでしょう。完成不可能も許されない至上命令「勅令」な

のです。

 そしてその、出来上がった神噐には当然「一」「五」「九」絶対の数位、皇帝そして永遠

の数位が測定される筈です。

 その数位を測定する前に、少し焼き物の予備知識が前置きとして是非必要です。暫くの間、

迂回し陶磁器の現場を尋ねることとします。

 古来より陶磁器は“火の神”の意思の現れ、また現代の陶工達の談によれば“火まかせ”

と言われるほど、焼き物づくりは熱制御が難しい仕事であると聞きます。

 この焼き物の宿命である不確定な火の結晶に、次章で詳しく述べる神々、特に、雷神を

秘めた“嵌入”を計算し、しかも完璧を表す為、1mmの誤差無く、自然火力をもって焼

き上げることが出来るものであろうか?焼き物は通常、土を水で捏ね、形を整え、日月で

一定期間、乾燥させ、そして窯の中で限界まで焼き固めます。

 その土の性分と器の大小、含有水分の量によって多少差異はあろうが、最終の段階で1

〜2割体積が収縮すると聞きます。そして、土の粒子の不均衡、岩石の純度による力の捩

れ現象、粒子間のミクロ空間に取り残された空気、及び残留水分の膨張などにより、収縮

と膨張の相反する逆方向の力が激突します。

  この為、厚みが増す分、激突の確率と圧力は鰻上りとなり、爆発と亀裂の確率は一気に

増大する筈です。そして、さらに炎の加熱の不確定要素などが加乗され、その縮む力と膨

張の度合、捩じれの方向は万化する筈です。当然、力学上も円より角の方形が捩れの可能性

が大きく、より高い技術が要求されます。しかも、天印「寶」の印台は、厚さ47mmで

約5cm近くもあります。一般の磁器より厚くして空洞が無く、しかも誤差のない寸法で

四角のものを果たして自然火力で焼く事が出来るものでしょうか?

 序章で既にお話した通り、蓑博士・西田社長が述べた通り、不可能と考えるのが、本当

に“精通”した人の答えです。

 恐らく、この高密度で空洞の無い天印は、火力の限界点まで温度が引き上げられ,

12001300度の高熱となり、その中心は殆どマグマの状態であろうと想像されます。ま

さに宇宙誕生のビッグバン・バン状態・インフレーション爆発が生ずるギリギリの臨界点、

火の神の化身となって誕生したと想像されます。

 1mmの誤差の無い「寶」を焼き上げる為、どれくらいの歳月と、気の遠くなる、試行

錯誤を繰り返したか想像出来ないのです。

 そして、それまでの焼き物が、唐三彩にみられるように、全て陶器であったのに「寶」焼

成の試行錯誤の過程で、新素材の開発に迫れ、後で述べる陶磁器史上、本格的「磁器」の

時代の扉を開いたと考えるのです。

 はじめに話した私の感触に間違いなければ「寶」の体積と重量との対比から私の過去の

体験からは史上に焼かれた、どの焼き物より、その粒子は細かい筈です。恐らく科学的検

査がなされたなら、その粒子は均一で超微粒子であるに違いありません。

 それは「寶」の地肌を覗かせる印面の素顔の、厳しい表情に、ハッキリと観て取れます。

特に嵌入の尋常ならざる激しい走り、この稲妻のごとき線の表情がそれを物語っているの

です。

 この粒子は盲目の職人の、神技的手触りの感触によって生み出されたに違いないのです。

 このことは私の大先輩であり、陶磁器の基礎を教えて戴いた町内の中村氏の推論です。

 未経験の私でありますが、自然火力で厚さ4cm以上の磁器を焼くと、4cm以上1m

m増すごとに、その焼成困難度の放物線は急激かつ一気に上昇し、限りなく不可能ライン

に光速で向かう筈です。

 私の陶磁器との付き合いの歴史で、何千、何万点みた焼き物の中に、この様な四角で空

洞の無い、47×70×70mmの自然火力で焼いた磁器を見たことが無いのです。恐ら

く、今日でも世界中の陶工が一同に集まり、“自然火力”で、この「寶」の再現を試みたと

しても、不可能であろう!!もし、奇跡的に焼き上げる事が出来たとしても、その必要経

費は想像を絶する膨大な額になるでしょう。

 私が「寶」の獅子をアポロ11号と名付けた、その理由が、突き付けられた請求書で得

心いく筈であります。

 それでは本論の印寸法による傍証を試みる事とします。

 「寶」の台座、印寸法は、高さ及び底辺の四辺、各々寸分の誤差もありません。四方の

天地の高さは47mm、四辺は皇帝の国土、その周辺の全長は4×70mmで、280m

mです。

 次項の表、表1を見ると、唐代の1寸を現代の寸法に直せば、3.11cmであります。


28÷3.11=0.9003215    9寸

4.7÷3.11=1.511254     1寸5分

 

これは驚くべく結果です。

 天下の国土である四辺の和は無限大を現す「9」の数位です。そして天子・皇帝の天

下は天上界までとどき、絶対の「一」と「五」の甄陶、天下統治の数位であり、「九」の

数位を会わせると、永久天下統治を意味します。0コンマ以下は、限りなく0に近く、

絶対欠ける事の無い“証”であり、水の表面張力状態で“国土豊潤”または中華の国力、

皇帝の勢いを説明した筈です。

 印台より上の神獣、白獅子の守護する所は、寸、尺をもって測る事の出来ぬ“天

上界”です。焼き上げ不可能な陶印に、天の道理を秘めるべく、明確な寸法の創意が現

れた決定的時代の証拠です。

 完璧・「寶」は、完璧ゆえに自らを解き明かすのです。

 以下は時代別の度量衡と計算数値です。

時代

1寸

4辺の和

      28cm

高さ

      4.7cm

2.951

9.488

1.592

3.11

9.0032

1.51125

3.072

9.11458

1.5299

3.11

9.0032

1.51125

                       表1<参考「新字源」角川書店>

 尚、唐代は高祖の時代(武徳元年・618年)より、昭宗(光化年間・900年)」まで約

300年間、歴代皇帝が君臨しています。この表の度量衡が唐代のどの皇帝時代の度量衡を

採用したか、私の手元に確実な資料は残念ながらありません。しかし、まず中宗・武后

以前に磁器の誕生以前は属し、さらに巻末年表に記した白磁の開発年代から考えて、そ

れ以前は除外されます。その他今後説明する多くの史実が玄宗の時代を指し示すのです。

 同じ寸法の明時代はどうかと、問われれば、これまでの調査と考証からしてあり得ませ

 ん。時代の事象を検証し、歴史を大観するに、明その他の時代で

はあらゆる事象が整合しないのです。このことについての説明と反証を加えるなら、本

書はこの部分だけで膨大なものとなり、今は止めさせていただきます。

 いずれ歴史がすべて答えてくれる筈である。

 以上、第1章21で示した歴史と印寸法は合致し明確に“唐代”とここに“断定”い

たします。

 もちろん「隋」「宋」は数値が違い除外されます。

 まさに天印「寶」は玄宗皇帝の統治時代、開元〜天寶年間に制作されたのです。

 次ぎに、この印文の寸法が我々に突き付けた時代の「傍証」に、更に玄宗時代の史実

を重ね合わせ、より鮮明にその実体を明らかにする事とします。