第1章15・篆刻師と完璧の総仕上げ



 
前項で焼成された「寶」に要した延人員は、

我々の想像を遥かに超え、幾千幾万の焼成の

繰り返し、陶工達の壮絶な戦い執念により寶

は生まれた。それは彼らの命の結晶であり「寶」

でもある。恐らく費やした陶土は大山を消し、

流された土は母なる黄河を白く覆ったであろう。

 この焼き上げられた「寶」はいよいよ完璧の

最終段階に向け厳重に警護された篆刻師が待機す

る窯場の真北、既に造営なった神殿に移された。

当代随一の名工と噂される篆刻師であっても、磁器であり神噐完璧を彫ることは至難を

超えた神技の極地です。失敗は五族、九族におよぶ死を意味し絶対に許さない。恐らく

陶工達が費やした日々と同じ歳月を、この篆刻の習熟に費やしたであろう。斎戒沐浴、

心身一切“無我”の境地である。

 印面の鑿跡に、不動の中にも薄氷を踏む篆刻師の、ひと打ち、ひと打ち、“魂”を打ち込

む祈りが観える。未完に終わった陶片で、いかに技を磨くとも、天地開闢、五行相生相剋

が天下の印面に残した“嵌入”は千変万化である。篆刻師が振るう、最初の一撃は、中央・

中天と表裏する、陰極の「老」天地創造・万物始成・天地開闢の“一打”である。“心技体”

鍛えに鍛えた篆刻師、入魂の一撃は神宮の静寂を破る。全身の神経は、逆立ち、印面の一

点、一点に集中する。鑿の角度と打ち降ろす衝撃力は時の刻みと変わることはない。鑿音

は時を刻み、歳月は陰陽凹凸を祭立たせ、印面・天刻宇宙の全貌を次第次第に現す。ただ

一度、一撃の失敗は、漢大宇宙の終焉、万死を意味する。神宮は静寂の霊気に包まれ、時

すらも無の底に沈み、吐く息さえ透き通る無我の境地、神技の鑿音だけが正確に時を刻む。

 文字神「蒼頡」に祈り、陶工達に負けぬ篆刻師としての執念である。

・・ただひたすら、「陽文陰縵」陰陽の“道”を彫り進む・・・・。

 四季は巡り巡り、差し込む光も和らぎ、早春の息吹が神宮に漂う。

 天地開闢の一撃に戻る中央中天に、万感の気を振るう・・・。

・・・・・・。

 かくて、本書第一章・15爻「一」と「五」の聖地で「寶」は成就する。

 神字「老」に「三清」と「北極神」の全ての願いを込め、静かに鑿を置く。全ては「陽

文陰縵」陰陽の道で天刻した太極の「寶」です。

 そこは神噐「寶」誕生の地であります。

 窯場は既に聖地として一掃され、帝都はすべて準備を終えている。

万民あげて祝典の準備は万全である。

 瑞祥の改元は、「天」より“戴”きし「寶」である。

 年号は無論、天の「寶」、「天寶」と改められたであろう。

 神噐完成の式典は荘厳華麗を極め、「寶」は、この章8項「寶の方位」で推定した社稷

の東方・宗廟の地「洛陽」に創建された大伽藍の神殿その玉座に安置されたであろう。