15・歴史の空白
 始めてこの獅子印「寶」と出会って、瞬く間の15年、解明・立証に約6年、学者・美術館関係者・および各界の方々に「寶」発見をお知らせする送封作業および往復の質疑応答に正味1年を費やした。

 これまで「寶」本を、お送りした学者・美術館・学術関係者の方々は70名余である。

 神噐・太極「寶」解明・立証の最終仮本は平成12年9月5日に完成した。 年を越し今日は4月18日、約8ケ月が経過したが、未だお送りした諸先生各位の90%弱の方から一切のご回答は無く、虚しい“空白の日々”と戦っている。      。
 「寶」を実際に手にしておられない美術館関係者や個別の研究分野の方々は別としても、最低限、中国「道教」研究者の沈黙は、歴史への重大な怠慢と言われても致し方ない。         
 差し出した政府関係者・財界・NHK等の門外漢の方々は別として、中国研究の諸先生方の沈黙はまさに圧巻である。 
 逆に考えれば、諸先生各位は、この太極「寶」出現の歴史的重大性を認識しておられる証左であります。  
 漢文化の歴史を覆す太極「寶」の出現は、まさに宇宙開闢のインフーレィション爆発・ビックバンの破壊力である。     
 それ程、この神噐「寶」の出現は、漢文化の歴史を論ずる上で、避けては通れぬ『登龍門』と心得ます。
 さて神噐「寶」は中国5000年・文化の黄金期・唐代、あの▲A“開元の治世”で名高い、玄宗皇帝その彼が、全土に勅令を発し、唐朝が総力を挙げ制作したものです。

 神噐「寶」は天下の覇者がもつ器、中華帝国象徴の器、天下の“基”です。 しかも、その「寶」には、中国古代より天子・皇帝文化の神髄を貫く「易」と「陰陽五行思想」その太上に戴く“太極”の真理が天隠されあった。
 当時・西から伝わった仏教と中国古来のシャーマニズム信仰を大成した道教とが、勢力争いをしていた。
 しかし、当時の民衆にとっては、この「易」と「陰陽五行思想」その太上に戴く太極の宇宙観は「仏先道後」「道先仏後」という政争の次元を遥かに超えた、太上・不動の真理であった。

 そしてその不動の真理は唐代・社会規範全体の基であった。
 それは、近代に例えば、自由主義・共産主義思想をその国が掲げれば、その思想にもとずく法律・社会の諸制度、その他社会全般が、多大な影響を受け社会の大河を形成して行くと同様の事である。
 しかし、この「寶」が神噐であったため、一切が秘密とされ、当時もそして以後の歴史にも一切知る術は無なかったのである。
 それでも目を凝らして丹念に歴史の断片を繋ぎ合わせれば、朧気に「寶」は観える筈であった。
 今日まで中国研究者が、中国文化の神髄「太極」神噐「寶」を取り上げていなかったと言う史実は歴史に対する、根本的視点が欠けていると言われても致し方ない。
 恐らく「易」およひ「陰陽五行思想」にて日本民俗学の未踏の地歩まれておられます、吉野博士も同様の思いと拝察しております。
 全ては中国5000年の不変の真理「易」と「陰陽五行」その太上に輝く“太極”の哲理を念頭に置いていなかったからです。
 日本でいうなら▲B「三種の神噐」が動乱で略奪を受けたと同じ事である。 断りますが、これはただ単に、中国5000年の至宝が発見されたに止まる問題ではありません。
 また再現不可能な奇跡の焼き物、また「太極」奇跡の印文が発見されたと言う問題ではありません。
 この神噐「寶」はあの文化の黄金期、唐朝があらゆる分野の学者を総動員して、太古からの伝説・文献を調査・研究・整理・検証し制作した太極の「寶」である。
 従って、この獅子「寶」を観る事は、唐代は勿論、それ以前の歴史で失われた、膨大な考古学資料を手にしたと同様なのです。
 即ち「寶」そのものを科学的に考察する事は、唐代以前の不鮮明であった歴史・文化・思想を観測することになるのです。即ちこの「寶」を考察する事は、唐代以前の漢大宇宙、遥かな歴史を観る事になるのです。

 「寶」は漢文化の巨大な▲ハッブル望遠鏡なのであります。
 この神噐「寶」は唐代史の空白、そして唐代以前の失われた歴史の金銀財宝の宝庫なのであります。
 それでは「易」数位「寶」に縁深き「一」と「五」から配当した15のアクセスも、この★『歴史の空白』で無事解説いたしました。

 これより「大和」は、満天の星々が瞬く北の夜空、その中央中天に一際輝く北極星を標に出発、進行いたします。
 歴史に選ばれた者のみが搭乗する「大和」です。ここで脱落者の出ない様、しっかりシートベルトを装着してください。
 それでは、打ち上げの秒読みに入ります。
 1・2・3・4・5・6・7・8・9・0・・・・
 今宵は大和打ち上げの成功を夢枕と致します。