13・太上老君


 
神噐「寶」の中央に刻まれてある「太上老君」とは、「老子」の尊称で、中国道家思想の開祖とされる人であり、古代の聖帝「黄帝」と共に道教の始祖と奉られています。生没不詳で実在した人物かどうかも謎とされていますが、姓は「李」・名は「耳」字は「伯陽」、諡は「耼」と伝わっています。 春秋時代、楚の苦県、現在の河南省鹿ゆう県、に生まれ、紀元前、春秋戦国期の思想家群、いわゆる「諸子百家」の一人で、周の王室に仕える蔵書室の史であったとされて、周の衰微を観、隠棲を決意し、西方に旅だったといわれています。
 途中、関所で関伊喜の請いにより、道教のバイブル的存在とも言うべき、『道徳経』上下巻五千言を著わし、いずこともなく去ったと伝えられています。
 老子は、釈迦・孔子と共に、東洋の三聖人に数えられ、後漢末頃、釈迦は老子の生まれかわりで、印度に渡り教化したと言う「化胡説」が生まれます。また、孔子が老子を表敬訪問し、その後弟子達が老子の人物を問うと、「人にあらず、龍である」と答えたとも言われました。
 真偽は別として中国人は、孔子・釈迦よりも、老子を敬ったのです。


                     
平成12年4月14日