7・奇跡の陶印
 前項でこの陶磁器が“完璧”を具現した奇跡の印であることを告げました。 私の足掛け10数年の果てしない歳月、その全ての始まりは、この魅惑に満ちた獅子の焼き物との出会いからであります。
 出発に先立ち、ここに至るまでの道程を今一度各位に説明しておかなければなりません。         
 何故この焼き物が再現不可能なのか?
 なぜ、このような焼き物、ひとつを焼き上げるのに、準備期間を入れ30年の歳月を要するのか?      
 なぜ、完璧なのか?
 多少なり中国史を知っておられる方でも、この航海に出るには、まず多少なりとも陶磁器の予備知識がなければなりません。

 ここは、母船「大和」点検の間、お時間を戴きたい。
 まず始めに、陶磁器についてなら、些か自信のある私でしたが、十数年前この陶印と始めて出会い、私の手の平で、純然たる焼き物としての感触を確かめた時、神秘的獅子の偉容もさることながら、獅子と印台に全く空洞が無く、過去に体感の無い重量感、まさに経験のした事の無い歴史の重みが混沌と一瞬の中で察知した。

 それは言葉で表現出来ない感触であった。
 私は、紐・獅子の神秘的迫力は勿論であるが、果たして印台47×70×70oにも及ぶ方形の磁器を本当に、焼き上げる事が出来るのであろうか?この点がまず大きな疑問でした。
 高さ2〜3mの九谷や伊万里の大壺でも、口周りの厚さや底の高台の厚さが35mm以上あるものは、殆ど見当たりません。

 そして古来の方法、例えば“登り窯”の様な“自然窯”で焼いた、それ以上の厚さの陶磁器は恐らく存在し無い筈です。

 しかもそれらの殆どは円形状ですが「寶」はそうではなく1oも誤差のない精密な方形です。
 科学技術が進歩した今日ならば、粒子の測定や、熱管理などにより、もしかして可能かどうかは分からないが、それでも「登り窯」に見られる様な伝統的古来の焼き方では、恐らくまず不可能と直観的に考えた。

 しかも、研究につれ分かった事であるが、この後の★(9)『易・陰陽五行』で述べるが、熱源の絶対条件は、▲「木」・木の燃料でなければならない。 この問題に関し、私はかれこれ7・8年前、東洋美術が御専門の大阪市立美術館・現館長・蓑豊博士をお尋ねし、「寶」を実際に見て戴きました。館長はこのような空洞が無く厚手で方形の焼き物は“焼成不可能”と即座に答えられ、軽々に答えは出せない、一応中国の“自然石”の可能性も想定しなくてはならないとの衝撃的なお話しでありました。

 昨年最終仮本「寶」をお送りしたところ、心暖かい手紙を戴きました。この場を借り博士に厚く厚く御礼を申し上げます。           重ねて、この重大なる問題に関し、近年、東京国立博物館陶磁室長矢部良明監修により「主婦と生活社」から発売された『骨董の知識百科』の中で、全国11店舗の中に紹介され、その鑑識眼は全国の業界でも高い評価を博している県内の文兆堂・西田社長をお訪ねしました。
 社長は学生時代、窯業の専門課程を経ておられ、陶磁器に関し科学的な体験と豊富な知識を有しておられる方であります。氏は拝見して直ぐに「これを焼き上げる事は、今日不可能である」「これは中国政府に返還すべき品である」と即座に言い放ち、「陶印自体、初めて拝見した、この様な陶印の文献や資料は、ほとんどなく簡単には見あたら無い」との驚きの談話でした。      
 蓑館長同様、正に陶磁器に“精通”しておられる方のお話しでありました。 そして、さらに、この幻の「陶印」を尋ねるべく、市内在住の禅野氏を訪問いたしました。氏は中国陶磁器の大蒐集家であり、中国陶磁器に関する書物も著されておられる兄(元・浅野セメント役員・故人)と共に戦中、中国大陸各地を同行され、その審美眼は兄に勝るとも劣らぬ人物です。     禅野氏の談によれば、「兄の影響もあって当時、中国各地の骨董店をくまなく回ったが本印の三分の二程度の上手の陶印を一回見ただけであった」「その店の話しによると、当時の中国でも陶印は非常に珍しく、市場に殆ど出る事のない、貴重な品であるという説明を今も印象深く覚えている」又「何万点の中国陶磁器を観賞したが、それぞれの好き好みもあろうが、この印は観賞陶器としても、中国陶器の十指に入れざるを得ない逸品であり、その中で希少さにおいては、その第一等であろう」そして“焼き上げは私の想像を遥かに超える”との談話でした。
 その後、富山県中央研究所・石川県寺井町・九谷焼き研究所の技術者の方々を尋ね陶磁器の確認など科学的調査を開始したのであります。

 貴方は、いずれこの陶磁器が、どうして“再現不可能”な奇跡の焼き物であるか知るであろう。
 そして、この「寶」が中国本国・および台湾・故宮両博物館の全ての国宝を遥かに凌駕する、極「一」、“太極の至宝”であることを知るあろう。
 このホームページ「大和」にアクセスした貴方も、まさに歴史の証人になるべく最後まで搭乗戴きたい。 

平成12年4月19日