4・太微宮

 私の7年の調査によれば、神噐太極「寶」は準備期間に約6年、本格的に焼き始めてから24年の歳月をかけ、完成したのである。

 そして神噐・太極「寶」は、天寶元年・742年洛陽の真北、▲「北邙山」に創建なった神殿「玄元皇帝廟」に奉納された。
 神噐「寶」奉納祝典は唐朝あげての厳粛かつ絢爛華麗な大祝典であった。 「玄元皇帝廟」は同年「玄元皇帝宮」と名称を改められ、翌743年「太微宮」と名付けられた。
 「玄元皇帝」とは印文・中央の「太上老君」即ち・道教の開祖「老子」の更に昇格した“尊称”です。
 道教は当時、唐朝の皇宗でした。
 この改称なった「玄元皇帝宮」を翌年“太微宮”と再度名称を格上げ改称したのは、異例の事であり、それには太極「寶」に秘められた訳がある。  この“太微”の意味は、『大漢和辞典』によると“星垣の名・現在の獅子座の西端付近の十星に当たる”とあります。
 神噐「寶」の印台・紐は獅子です
 この太微宮(玄元皇帝廟)は、神噐「寶」を納める神殿のため唐朝が総力を挙げて創建した天を突く大伽藍であったという。
 今は、これだけの解説にとどめて置きますが、いずれ▼「玄元皇帝廟」にアクセス戴ければ、そり偉容は分かる筈です。
 いずれにしても、貴方は、この1300年前に創建された、この神殿の前、に偉容を放つ“登龍門”に向うのです。
 貴方は“登龍門”の門を通り“太微宮”の神殿の扉を開け“太極”の神秘を観るか?
 重ねて、このホームページは、航海誌の日付を御覧戴ければお分かり戴けると思いますが何せ突貫工事で建造いたしております。

 現在の大恐慌下、時間との戦いを強いられております。

 この為、各★惑星の▲星々の解説が殆ど手付かずの状態で、出発日まで到底、間に合いそうにありません。
 各位には、取り敢えず★を順次アクセス戴き、漢大宇宙を旅する「大和」の全体像をご理解願います。
 当方として、母船『大和』航行に支障を来さぬよう全力を挙げる所存です。 最低限、懸賞歌「和漢太極寶歌」解明に支障きたさぬよう「大和」は追いつく計画です。  

     
       「大和」航行日誌 
     平成12年4月14日