3.『寶』
 始めに『大漢和辞典』の「寶」解説を掲載いたします。

  「寶」@神
     A▲道          
     B印章
     Cたから        『大漢和辞典」より

 まさに「寶」は@“神”であり、道教の開祖と崇められる「老子」の説く神髄A“道”の具現であり、そしてB“印章”天子の御璽(▲唐書・車服志)C“たから”であります。
 印章は天子皇帝の▲「璽印」とあり璽とは「寶」の呼称以前の王者・天子の玉印である。@ABCを総合的に考察すれば、「寶」は神噐であることが推察される。
 コード(1)★神噐は(2)★太極であり(3)寶は神噐であることが、自然に受け止められる。
 このホームページで、この獅子の陶印が神噐・太極「寶」と、解説して行く事が、これでご理解戴ける思います。           
 

 7年前、この獅子の印鑑が、中国の何時の時代の焼き物で、どの皇帝が命じて焼かせたのか、そして誰が、この神秘の文言を創造したのか、それらの謎を解くのは私に与えられた歴史的使命、宿命であると感じた。
 振り返るにそれは、殆ど無意識の中で知覚しているようで、まさに流れる血が騒いだとしか言い様がない。

 古美術に関して些か自負していた私であるが、想像を超えたこの獅子のもつ神秘的魅力に魅せられた結果、図らずも迷い込んだ混沌世界であった。
 まさに天命宿命、偶然と必然の歳月であり、避けて通れない道であった。 そんな中、私はこの陶印は、間違いなく中国皇帝もつ璽印である事は当初より分かってはいたが、多くの印章の著書を調べたが陶印に関する記述らしい記述は、殆ど見当たらなかった。        、
 唯一『原色陶器大辞典』(淡交社・加藤唐九郎編)に『考槃余事』に「宋代哥窯・官窯・東青い窯に印章あり、その制作の式の妙、述べ尽くすべからず」の記述があった。

 この記述が予断となり、私は、唐代「寶」の道は数か月、回り道を余儀なくされた。     
 私自身も『考槃余事』の記述の通り、これまでの陶磁器の常識からすれば、この「寶」が宋もしくは明時代のものと考える方が安全であり。常識的であったのであるが、調べて行くと、それでは歴史の事象が全く整合しないのである。その歴史の混沌にさ迷っていた時、まさにこの「寶」の文言が私の脳裏に閃いたのであります。           
 そして『大漢和辞典』で「寶」の記述を発見し、歴史の舞台は、あの文化の黄金期、唐代へと一気に時代は溯ったのであります。

 しかし、現在も日本を代表する多くの美術関係者が、この神噐・太極「寶」が果たして1300年前の唐代の陶磁器である事を認めるには、余りに危険がともない、皆さん沈黙しているのであります。 
 この神噐・太極「寶」は並の国宝とは違います・
 中国5000年の至宝、万里の長城や中国の国宝、全てを凌駕する、人類文化の「寶」です。     
 陶磁器分野だけの判定では到底断を下しかねる、想像を超えた奇跡の陶磁器です。                
 陶磁器関係者の沈黙は、これは致し方ありません。
 むしろ、これは中国史とりわけ道教史研究に身を置く歴史家が断を下さねばならない問題で、歴史に対して現在の沈黙の責任は余りに重いと言わざるを得ない。
 いずれにしても、この唐代には、この獅子の白磁と同じ“端渓の硯とともに天下に貴賎なく用いられた”と言う「唐白磁」が製造されていたのです。 陶磁器からの照射は▲「唐白磁」のコーナーで明らかにいたします。   この獅子の陶印・「寶」は、重ねて神噐・太極「寶」である。
 いずれこの神噐・太極「寶」が投影された、日本▲民族永遠の『寶』についても、いずれ、いずれ・・・ひれ伏し、身命を賭して触れねばならないであろう・・・。
 いつの日か・・・。

平成12年4月11日